2010.11.29 Monday

PARIS PHOTO 2010

写真の洪水の中へ

秋の終りのパリへ、写真専門のアートフェアPARIS PHOTOを見にでかけました。入場者数は昨年に及ばなかったものの、週末は予想通りの大混雑。内容的には混乱気味、と感じた今年のPARIS PHOTOでした。
近年、デジタルカメラの技術が進み、フィルムや印画紙の存在感が薄れる中、写真を巡る人も状況も劇的に変り、「写真」が自分の有り様を戸惑いながら探している様な、写真にとって過渡期である状態がPARIS PHOTOの中に凝縮されていたと思います。
一昨年の日本特集から昨年のアラブ諸国とイラン、三部作の締めくくりは中央ヨーロッパ特集が組まれていましたが、今年は何の都合か企画展が少なく全体的に地味、落ち着いていたけど退屈だったと評する人が多いようです。中国のギャラリーが扱っていたグラフィックとも言える合成された作品と、その対極にある印画紙のヴィンテージプリントや、ヴィンテージプリントのような雰囲気の懐古趣味的な作品が目立っていました。それから、大人気だったのは、イタリアの写真家Massimo Vitaliの作品。海、空、ビーチパラソル、人、人、人。ピカピカな写真はどこでも目立っていました。

デジタルの触感や質感に対する反動なのか、プリントそのものの存在を主張する扱い方、額装の仕方が目につきました。ブラッサイのフィルムの密着を、フィルムのNO.まで入れて切り抜き、浮かせた状態で額装した作品。このような手法がとても流行っていて、印画紙そのものを写真作品と言うよりも、「写真が焼き付けられた紙」として扱っています。それは決まってごく小さなプリントです。日本人の写真家、山本昌夫さんの作品を海外のいくつかのブースで見かけましたが、一貫して日に焼けたような淡いトーンのセピアの写真をフレームに入れた作品です。ちょっと興味を引かれて山本さんの事を調べると、日本国内よりも欧米で知られた人気作家でした。昔の記憶のようなはかなげな写真は、通常の展覧会場でも小さなまま点々と配置されて、海外の人の目から見るとそれはかなり日本的なのだろうと思います。叙情的で詩的、小さな写真ひとつひとつが山本さんの言葉で、壁に詩を綴っているというような、あえて言葉にすればそんな感じなのだろうと思います。ミステリアスな、空間を多くとった不思議な間合い、という理解不能な魅力。それは日本的、ZENの精神と見えるのでしょうか。

パリに来て、日本の個性とか日本人ならではの感覚とか、世界の中での特異性とか、とりわけ写真表現という中で、そんな事ばかりを考えていました。

今回に限らず、日本の写真家の評価や人気は、余計な物を排除したミニマムでシンプルな絵作りのようです。不思議なもので、PARIS PHOTOのような場所で写真を見ていると、日本人の写真の中にある、何となく知っている感覚が目に入ってきます。海外の作品との違いは写っている物の違いだけでなく、表現しづらいのですが、多分、写真に定着された場の生活の違いなのだろうと思っています。生活すなわち生き方、価値感、視点の違いです。PARIS PHOTOに来ると日本的なこととは何なのか、いつの間にか考えていることに気づきます。
ここで目にしたものが、本当に日本的で日本人らしいことなのかどうか、明確な判断など当然できないままですが、FOIL GALLERYのラインアップやTARO NASUの春木麻衣子さんの作品から、抽象性ということが日本的ということの考え方の入り口にある気がしています。