2011.11.26 Saturday

山崎塾第ニ期〜1×14 Fine Prints Session

今年も写真と格闘します。

浅草のレンタル暗室&ギャラリーPIPPOで企画されているワークショップ、
「山崎塾第二期」に参加しました。
昨年同様、Photo Classicのフォトディレクター・山崎信氏による
全6回のワークショップです。
8月から10月までの三ヶ月間で「銀塩写真によるファインプリントの制作と展示
まで」を行い、11月12日(土)〜11月26日(土)には
PIPPOで「11×14 Fine Prints Session」の写真展が開かれました。

前回と同じ様に皆さん、写真に関しては経験が長くセミプロのレベル。
中には写真家を目指している方もいます。
私はと言うと、子どもの頃からの写真好きが高じて今まで来たという感じですが、
こうして暗室に通うことになり、暗室作業に没頭する事が
自分の中で特別に大切な時間になるとは考えていませんでした。
一回目の参加の時と違って、無邪気に作品ができた!と喜ぶ訳でもなく、
写真って簡単ではないということ、もっとこういう写真が撮りたいと
切に思った事、写真に魅了されていることを実感したワークショップでした。

モノクロ、カラーに限らず、銀塩写真の行程から材料や大量の水が必要である事
などを考えると、今の時代に合っているかどうかは、おそらくはっきりと
断言できないでしょう。
科学の下支えがある銀塩写真というものは、写真の歴史の中で消えて行くべき
ものではないと思います。それを踏まえて現代の写真があると考えると、
写真を生み出した人と技術に対して謙虚にならざるをえません。
かなりの速度とレベルでデジタルの技術が進み続けていますが、
アナログの写真を大切にしつつ、新しい技法や考え方を積み重ねることの
おもしろさも体験して行きたいと思います。

2011.11.12 Saturday

久しぶりにふたつの写真展

写真ってなんだろう

新人写真家の登竜門のような存在になっているキャノン写真新世紀。
2011年の受賞作品の展示と昨年のグランプリ受賞者の新作展が開かれています。

中には自ら銀塩のモノクロプリントで作品を制作している受賞者もいましたが、
ここ数年は事ながら、デジタル技術を使った作品がほとんどです。
その善し悪しは前提になりませんから、まっさらな状態で写真を見ますが、
正直なところ大判デジタルプリントの質の問題と、いわゆるコンセプトありきの
考え方が主流であることに疑問を持ちます。
写真そのものをみた、という気がしなかったけれど、確かに画像は見たのです。
そもそも写真ってなんだろうという思いがわいて来ました。

帰り道に気づいたことは、こうでなければならないという決まりがないとしたら、
最後の決め手は微細な事が積み重ねられた質感なんだということです。
それは表現の魅力を形つくる土台になるもの。
写真の中では、被写体との向き合い方やそれをどう大切に扱おうと思っているか、
プリントをどう取り組んで作り上げるかに現れ、作品の決め手となるのではないか。
とりとめもなくそんな事を考えました。

同時期に開催されていた「コレクション展 こどもの情景ー原風景を求めて」では、
往年の写真家(須田一政、石元泰博、植田正治、マーティン・ムンカッチなど)が
こどもの世界をとらえた、約140点の名品が展示されていました。
今の時代ではない風景の新鮮さと、すでに評価された作品をみる安心感が手伝って、
写真をみたという実感がわいて、もう一度みたいと思ったのも当然の事です。

でも本当は、見た事のない新しい作品に驚き、引き込まれたい。
写真の可能性は果てしないのだと実感したいと思っています。

写真新世紀 東京展2011
2011年10月29日(土)〜11月20日(日)

コレクション展 こどもの情景ー原風景を求めて
2011年0月24日(土)〜12月4日(日)

東京都写真美術館 http://www.syabi.com

2011.11.04 Friday

畠山直哉×池澤夏樹 対談

悩む大人たち

恵比寿の東京都写真美術館で、写真家・畠山直哉展が開かれています。

〜東京都写真美術館HPより〜
今回は「Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ」と題して、初期の作品から現在に至るまでの作品の中から、自然と人間との関わりを改めて俯瞰するような作品を主に構成します。 これらの作品からは、美しく素晴らしい自然の魅力を感じるだけではなく、時には不条理で厳 しい光景を見ることができます。長い年月をかけて自然と人間がどのように共存し、対峙してきたかを改めて考えるきっかけになるでしょう。

畠山直哉展
Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ

2011年10月1日(土)〜12月4日(日)
東京都写真美術館 http://www.syabi.com

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この写真展の期間中、いくつかのイベントが催され、その中のひとつ、
畠山さんと作家の池澤夏樹さんのトークイベントに出かけました。
定員190名のホールに入れないほどの人が集まっていた様子を見て思ったのは、
震災後の表現という事についての答えを、多くの人が求めていたのではないかと
言うこと。私も同じです。

畠山さんは陸前高田の出身で、津波でお母様を亡くされたという悲しい現実があり、
トークの中では、当然のように震災の話題が中心になりました。
その畠山さんが何を考え、どうやって写真を撮って、撮って行こうとしているかを
すがる思いで聞いていました。
震災から少なくとも今の時点ではこうだというあるがままを話された事に、
私は表現をする人の誠意を感じて、
知性ある大人二人が大きな災害を前にうろたえているということが
わかっただけでも、少し安心したようなところがあります。

そうそう簡単には答えは出ないが、それでいいのだ。迷ってうろうろと歩き回って
いることでそのうち何かわかるだろう、という悲観ばかりではない
将来をイメージしているような雰囲気も、お二人から発せられた
多くの言葉から感じることがました。
以下、あくまで私個人が対談を聞いてiPhoneにメモした、たくさんの言葉の断片です。
私自身、表現すると言う事においてこの対談から何かを感じ取れたと思っています。

10/26 都写美

(池澤夏樹、畠山直哉トークイベントメモ)

成層圏の夕日の美しさは、人間の生活の場では見られないところにある。
人間に対して自然は無関心である。自然は無関心で、しかしそれは悪意ではない。

被災地にて→陸前高田では何かがしたくてシャッターをきる。叫ぶ、と同じ。地上から30センチくらい浮いて、ふらふらさまよって写真を撮っていた
幾度となく出かけている被災した土地で何もできなかった→いまだに湧いてくる疑問を抱えてウロウロしているだけ→考えを仕立て直すことができない→泣くしかない→満たせない器が残った

どんな時に泣けてきたか→思いがけず人から優しくされてふと涙がでた

出会った美しさを写真に撮るかどうか?
南極で記録としてクジラを撮る→感動するくらい美しいクジラは撮らなくても記憶する。偶然に別の場所で会いたい。欲張る事はしない
一回しかおこらないことを撮るか?
カメラが動かないこともあるかもしれない→待ち構えてとることがない、自分の写真はハンティングではない。決定的瞬間を追わない

発破の連写作品について→鳥が飛んでいるのか最後に写っている24カットをつなげた。鳥を入れるか入れないがで作品の意味が変わる

救いのような自然現象に対して→自然に対して意味付をしてはいけない
そんなに自然はあまくない。そのことには気をつけなければならない
自然に対して最後の最後に救いを期待する。鳥に意味付してしまう、というようなことは危険だとしてきた。しかし震災後、それを自分に許すようになった

著作「春を恨んだりはしない」
何とか言葉にしなければいけない→作家のできること→震災の全体像をつかむために書いた。凄まじい体験が無数にあった

デジタルとアナログについて→デジタルもアナログも像を写す、ということについては同じ。写っているものはどちらでもいいものはいい。フィルムには自然科学の根っこがある。それがあってこその今であることをふまえているかどうか
対局的にみるとどちらでも同じ。
フィルム→デジタルだとリアリティがなければ写真をやめるという選択もある。例えば、フォトグラムの作家はやめざるをえない
現代では、混ざり合っても写真としての魅力、概念があるはずだと思いたい
(おそらく、文学、美術を含めた表現について言っている)
「美しいもの」として提示されている「美しくないもの」をがまんできない→それについて真剣な議論をしたい→今までは黙って見過ごしていたものに対して発言して行く→正しく厳しく線引きをするつもりでいる→なぜなら、今、現実はもっと深刻なはずであるから