2012.06.24 Sunday

Photo 写真の人_08

 ————————松谷友美さん

写真家の中藤毅彦さんが主催するギャラリー・ニエプスで開かれた、被災地支援のためのカフェイベントへ出かけたとき、偶然出会ったのが松谷友美さんだ。作品を見せてもらうと虹の写真が静かに待っていた。
私たちは被災地の悲しい風景を長い時間み続けて来たけれど、これから必要な写真は何だろうと考えていた時、それは虹だと気づいて、ずっと虹を探していた。

松谷さんの作品は、落ち着いて淡々と撮影されているように見える。本人の雰囲気も同じようで、撮影者と作品がすんなりと一緒に存在している。風景の中に必ず人や何か中心になるものが配置されていて、たまたまそこにあったとか、通りかかったとかではなくて、愛着を感じる物をポンといい具合に配置するような意識でシャッターを切っているのではないかと思った。
少し離れた所で小さなものや静かな存在をしっかりと見つめながら、視界は広く全体を捉えている。松谷さんの目はそんな風に世の中を見ているのではないかと思う。

これでどうだ、と言う様な強い表現ではなく、静かな主張に惹かれて、その中に撮影者の視点を発見したり味わったりする事は、写真を見る楽しみのひとつだ。
被災地を撮っている作品は報道写真以外でもたくさんあり、中には受け入れられないような物も多くあった。そこには写真の残酷さというものも十二分に存在していたと思う。
松谷さんが被災地を撮影したら、どんな写真になるのだろう。それは傷ついた土地であっても、中心には小さな何か大切な物が写っているのだろうと思う。
被災地支援のイベントで出会った虹は、私にとって特別に意味のある作品になった。
どうか東北の地に虹がかかり、傷ついた方たちと土地と、それを支える私たちの心に希望が芽生えますように。そんなことを願いながら、松谷さんの虹をみています。

松谷友美公式ホームページ

Photo 写真の人_07

 ————————武藤慧
さん

武藤さんの作品のほとんどはモノクロームのバライタ印画紙のプリントだ(これは写真原紙に直接バライタ層と乳剤が塗布されている印画紙の原型のようなもの)。 写っているもの、そのもののディテールに関係なく、デッサンに使うコンテを重ねたような質感の光沢の無いプリントは独特だ。被写体を切り取り、印画紙の中に閉じ込めているような作品には、彼女だけの物語がしまわれているのだろう。透けているけれど分厚いカーテンが引かれているような感覚がある。

今、写真の世界もすっかりデジタル化されて、銀塩プリントやフィルムの存続が危ぶまれている。最近のデジタルカメラの描写力は、驚くほどのレベルになっていて、「写す」ことの魅力全開といった感じだ。本当に隅々まで美しく写るのだから。

写真を楽しもうとする者にとって、何で撮られようと、いい写真はいいのだ、ということに尽きる。でも、こういう作品に出会うと、暗室という特殊な場所の、暗闇や水、空気や時間の積み重ねから生まれた一枚のプリントという存在感が、特別なものに思えてくる。そう思わせる作品は、やはりあらゆるものの積み重ねや、目には見えないものが写っているのだろう。そういうものは、デジタルでも表現できるのかどうか、また、できているのかどうか知りたいと思います。

Photo 写真の人_06

 ————————筒井淳子
さん

筒井さんの作品を初めて見せてもらった時に、子どもは七歳までは神の子、と何かで読んだのを思い出した。筒井さんの写真にある透明感は、この世のものではないような雰囲気がある。きれいな光と透き通った色、澄んだ空気の中には、スパッと割り切ってみせる強さというか残酷さというか、もしかすると女性的とも言える、何かそういうものが少し混ざっているように思う。今はお母さんになって、生活も感じ方も変わったと思うけれど、きっと何気なく撮る写真にも筒井エッセンスやスパイスが効いていることだろう。

筒井さんは美しいと感じたものを素直に撮りたいと言っているが、被写体からは見えないところで、自分の気配を消して撮影しているような客観性と冷静な目を感じる。写真はあらゆる媒体に落とし込まれて表情が変わるけれど、何にも影響されない、筒井さんだけの透明な光を写真に残してほしいです。

Photo 写真の人_05

 ————————広川智基さん

昨今、オーバー気味の明るく軽い天然写真というような作品が多いように思う。ある時期からの流行だと思う。淡くやさしく、明るくして安心したい気持ちは理解できるけれど、現実はそうはいかない。

広川さんは気持ちの良い好青年だけれど、夜な夜な公園や工事現場に現れて、警官から職務質問などされている。それでも撮りたい闇夜には、何が見えるのだろうか。雪の降った夜や、一晩中電気が消えない街などは、長時間露光の撮影をすると思いの外、明るい写真になる。それらはこれから来るのが朝なのか夜なのか、時間の判別がつかない不思議な雰囲気。広川さんの作品は、淡く明るい流行りの写真とは逆を行っている。でも、実は暗さの中にも明るさは見出せるもので、今は暗いけれど、必ず明るくなる時が来ると感じさせる作品だ。これは、撮影者本人の視点以外の何ものでもないと思うのです。

TOMOKI HIROKAWA WEB SITE

Photo 写真の人_04

 ————————ミズカイケイコさん

2011年の新年のトップページにミズカイケイコさんの樹の作品を掲載したことがある。新しい年にぴったりな、気持のよい風が吹く、いい予感がする様な写真。それまで見て来たある種の甘い雰囲気がある作品とは違っていて、より対象をきちんとしっかり見つめようとするまっすぐで真摯な姿勢を感じた。それは写真を撮って行こうと決めた人の強さなのかもしれないと思った。あれからすぐに東北で大震災があり、ミズカイさんとは小さなグループを作り、その支援活動で協力し合う関係になった。

写真の一番の面白さは、撮る側の心身とすべてつながっているところにあって、それがどう変っていこうとその人だけの物には変りない。ある種の甘い雰囲気がある作品、と思っていたリンゴの樹の作品は私の仕事場に飾ってあるのだけど、目に留めた人から必ず「誰の写真?」と聞かれる程の人気者。この甘さに強さが加わって、現在進行形でミズカイさんらしさが作られつつあるのだろう。誰しもが何となく惹かれる訳は、両極にあるものがうまく混じり合ったものの存在かもしれません。

Photo 写真の人_03

 ————————橋本とし子
さん

橋本さんの作品を初めて見たのは、3年程前になる。写真専門雑誌をちょっと退屈しながら見ていた時、一番最後のページに気持ちのいい写真を見つけた。その時、私もこんな写真が撮りたい、と思った。(プロの写真家に向かって失礼かもしれないけれど、こういう写真を撮るような人になりたいという意味でもあるのです。)そこにはブルガリアを撮影した作品が数点掲載されていたのだが、この先が見たい、他にもっと良い作品があるはず、と確信した。予想通り、分厚いブックには素直な視点が撮った作品が詰まっていた。

橋本さんは、意識的にあれこれ計算した上で撮影していた時期があるそうだが、それがうまくいかずに自分を自由にしておくことにしたそうだ。自由で柔軟性を持ち、自分の感性に素直にいることで、こういう作品ができるとしたら、写真は撮る人の鏡のようなものだとつくづく思う。
素朴さの残る海外の町や村を撮影した、明るくほのぼのとした作品は山ほどある。そんな中で橋本さんの作品に惹かれたのは、撮ることから自分を自由にできることだけでなく、その瞬間を鋭い目で切り取る、写真家として備わった力があるからではないか。それが十二分に発揮された「写真の力」に惹かれたのだと思う。

Photo 写真の人_02

 ————————赤川智洋さん

赤川さんは写真家ではなく、映像などのインスタレーションを中心にした作品を発表している若い美術作家だ。制作している美術作品そのものは、自然現象であったり、物理現象であったり、それらの現象を見せる─現象を作り出すというもので、刻々と姿形を変えて行く(常に何かに反応して動いている作品です)。手触りなどの物質的な特徴への興味が、作品制作の入り口になっているそうだ。

意識的に写真を撮りはじめたのはつい数年前だと言うし、特に写真というものにこだわりを持っている訳ではないようだが、独自の視点で自分の感覚を素直に、ここ、という方向に向けている。私はポートフォリオの中の、自然にすんなりとレンズを向けてシャッターを切ったような写真を見て、写真でも自分の表現ができる人だと思った。
赤川さんの写真はマチエールを撮ることが一番の目的になっているように見えて、風景を撮っても空気感やそのものの存在感を写すというよりは、絵の構図を決めるように切り取って、湿度のあるマットな質感を写している。たくさん撮って行くうちに、もっと違う物が見えてきそうな気がする。
今の時代がコンテンポラリー・アートとしての写真の価値を高めているとか、そういう事とは、あえて離れたところで、赤川さんは写真という表現手段を確実に手に入れてほしいと思う。その写真を美術作品の世界を広げたり、より深く理解する手だてとして、私たちに見せてほしい。

被写体である美術作品そのものの特性や意味をリアルに捉えて見せる、写真本来の役割を果たすような、そういう写真を撮ってほしいと思います。

atocmoc.com

2012.06.22 Friday

Photo 写真の人_01

いい写真って、何なのか知りたい。
Photoの頁はそんなことを考えながら作っています。

記録であっても個人的な作品であっても、そこに撮影者の視点があるものが、自然と誰もが惹かれるいい写真なのだと、今は思っています。 昨年の震災以降、写真家が被災地を撮った写真をたくさんみました。撮る側の視点がそのまま表れる被写体です。その体験から、「何を見て撮っているか、そこに誠意があるか、」いつの間にかそう思いながら写真をみています。

一枚の写真に含まれる情報量は膨大で、そこから受け取ることのできる様々なことは、物語や記憶、新しい発見であったりしますが、見た人それぞれが違う見方、感じ方をして、限定されるものではないと思います。Photoの中で紹介している写真家の方たち作品に対して、個人的な感想を書いていきます。

 

 ————————中藤毅彦さん

作品と作者はイコールであると、ずっと思ってきた。でも、中藤さんはちょっと違う。第一印象は丸く(体型もです)温和な優しい人柄で、作品の割り切ったような強さとそのままつながらないのだ。ずしりと濃い黒の、深くて強い作品が中藤さんの持ち味で、森山大道氏の弟子だったこともよくわかるけれど、この作品と人との違いはどういうことだろう。
そんな時にレンタル暗室&ギャラリーPIPPOで開かれている、中藤さんの写真集を読み解くワークショップに参加して、少し解ったことがある。どんな写真集を前にしても、参加者に大切なことを伝えようと止めどなく言葉があふれてくること。真剣に写真を語る中藤さんの眼の鋭いこと。きっとこの人は写真の前に立つと人が変わるのだ。写真に対して条件反射で戦いを挑んでいる様な気がした。
多くの写真集を収集、勉強して、写真と写真家、技術的な歴史まで膨大な情報を持っているはずだし、それがあることで自身の作品の行く道も定めているのだろう。
今回、中藤さんが過去の作品からセレクトしてくれた中から、私の中では作品と作者がつながっていると感じた写真を選んだ。すべての写真のどこかに人(猫とマネキンもいますが)が写っている。きっとこの先も中藤さんの作品を見る時、写っている人影を探すだろうと思う。触ると指が黒くなりそうなくらいに黒の色が重なった、どんなに粒子の粗く強いプリントであっても、中藤さんの人を見る眼は優しいと思うのです。

中藤さんが運営しているギャラリー・ニエプス

2012.06.20 Wednesday

京都のギャラリーへ

タカ・イシイギャラリー京都で開かれている、津田直さんの個展「津田直 REBORN “Tulkus’ Mountain (Scene 1)”」に行きました。去年、清澄白河のヒロミヨシイ ギャラリーで開催された個展の内容を土台に再校正された展示です。ギャラリーが変ると当然展示も変る訳ですが、今回2ヶ所でほぼ同じ作品の展示をみたのは、面白い体験でした。

暗さに目が慣れてくるとだんだん見えてくる。という経験は誰でもしていると思いますが、ギャラリーではあまり無いこと。昨年のヒロミヨシイ ギャラリーでの展示は本当に暗かった。でも、人間の眼はすごいものです。本当にだんだん被写体が浮かび上がってくるんですから。その暗さがブータンのお寺の暗さであるということを津田さんから聞いた時に、普通の写真展との明確な違いを確認することになりました。ここでのライティングはギリギリまでしぼってあるのに、ディープマットという特殊な印画紙が光を吸い取って、作品そのものが発行している様な不思議な存在感でした。暗さ効果か、そばに誰かいても気にならず一人で作品と向かいうことができました。

タカ・イシイギャラリー京都での展示では、ここでも暗いライティングがされていましたが、ごく自然な暗さと言う心地よさを感じました。小さな真っ暗な部屋も用意されていて、ここでは思いがけない作品の鑑賞ができます。

ブータンの僧侶と樹と仏塔の作品は、それぞれ全く違う存在が混ざりあって空間を作っていました。それぞれ同じように人格があり、尊さがあるというような、津田さんの目がそういう風に世界を見ているのだと思います。

照明を担当されたのが作家活動もされている多摩美術大学 映像演劇学科研究室に所属されている山本圭太さん。展示全体に光の使い方の強弱が効いていて、津田さんの作品への理解の深さが表れていたと思います。

タカ・イシイギャラリー京都は、小山登美男ギャラリー京都と同じビルにあります。京都駅から徒歩15分くらい、西本願寺と東本願寺の間というような立地です。清澄の大きな倉庫の中にあるギャラリーの空間もいいものですが、この京都の染め物工場だった建物をリノベーションしたギャラリーは何とも魅力的です。あ〜、京都にやられたと言う感じ。このかなりシンプルかつ元々の建物の構造を生かした内装には参りました。降参。激賞。この場所が大好きです。

この建物の中には、小山登美夫ギャラリー 京都、タカ・イシイギャラリー京都、TKGエディションズ京都、TKGセラミックスが同居していて、2Fのふたつのギャラリースペースは、タカ・イシイギャラリー京都、小山登美夫ギャラリー 京都がそれぞれの企画で個展を開催したり、ふたつを使って展示をしたり、様々な使い方がされているようです。

写真、アート、ギャラリーの空間はいいものだなと思わせてくれた、津田さんの展示とギャラリーでした。

津田直 website

以下、タカ・イシイギャラリーHPより抜粋

タカ・イシイギャラリー京都では6月8日(金)から7月14日(土)まで、京都初個展となる津田直の展覧会を開催致します。
本展では、ヒマラヤの王国・ブータンにて撮影された「REBORN」シリーズより未発表作を含む十数点のカラープリントを展示致します。仏塔、濃霧に佇む立ち木、深奥に暮らす僧侶のポートレイトなど、仏教圏を舞台とした写真作品を発表します。

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津田はファインダーを通して古代より伝わる「人と自然の関わり」を翻訳し、その土地の記憶を太古の時間まで辿って「時空を超えたイメージ」へ、そして「イメージの起源」へ近づこうと果敢にシャッターを切り続けていきます。
京都で発表される「REBORN」シリーズの新たな試みにどうぞご期待ください。

津田直 Nao Tsuda
REBORN “Tulkus’ Mountain (Scene 1)”
会期:2012年6月8日(金)~7月14日(土)
会場:タカ・イシイギャラリー京都