2017.01.14 Saturday

その時カメラを持っていたなら

いろいろな出来事が「写真を撮る」ということを意識させるものです。昨年、そろそろ秋にになろうとしていた頃にあったこと。

バス停に着くと、白い帽子をかぶった年配の女性がバスを待っていた。「さっき、行っちゃったのよ」と言われ、私は時刻表を見る。「あと5分足らずで来ますよ」。バスは5分もしないうちに来たので、「あー、来た。早く来たわねぇ。」とそのひとは喜んだ。バスが駅に着き、一番後ろの席に座っていた私が最後に降りると、とっくに降りていたそのひとがニコニコして立っていた。何も言わずに胸の前で小さく手を振っている。思いがけない光景に、つられて私も同じように小さく手を振る。ほどなく、半分顔をこちら側に向けたまま、さっと向こうに歩き出す。80歳に手が届くくらいのひとが、背中をピンと伸ばして、早過ぎない丁度いい速度で遠ざかっていく。白い帽子が小さくなるのを見ながら、ちょっと温かな気持ちになっていた。それは一日を機嫌良く始めるというお手本のようだったから。

 今、もしカメラを持っていたならば、必ずシャッターを切っていただろう。バスターミナルの高い屋根の下、朝の光が斜めに差し、輝きながらそのひとを縁取っていたのだから。iPhoneでは撮れない写真があるのだとこんな場面に遭遇してつくづく思い、そして素人ながら、写真にとっての光の存在を強く感じる。あたり前の日常の中に、写真を撮る喜びがこんな風にあることも。