2011.04.11 Monday

宮城県七ヶ浜・塩竈へ ご報告(1)

支援物資と炊き出し

4/2−3に宮城県へ行ってきました。詳しくは報告書にまとめました。
物資の提供をありがとうございました。まだまだ支援は続けなければ。決意を新たにしています。

[ご報告]

宮城県七ヶ浜町・塩竈市へ女性用の支援物資を届けました。

この度は、震災支援活動にご協力ありがとうございました。たった三日間という短い期間で物資の提供をお願いしたにも関わらず、400本あまりの化粧水や170個ほどのハンドクリームと爪切りなど、予想以上の物資が集まりました。メールを受け取ってくださった方の半数以上からお返事をいただき、61名の個人の方(氏名の公表を希望されない方を含むと70名近くになります)、8社の企業にご賛同いただきました。一通のメールがここまで大きく広がりを見せたことにとても驚いています。故郷が被災地となって支援活動を始めた写真家・平間至さんへの協力という形をとっていますので、そのお手伝いとしての活動でしたが、とても大きな力になったと思います。

4月2日(土)早朝から撮影に関わるロケーションの会社(株)スペ〜ス百貨のロケ用車両2台と、物資を積んだ4トントラックで出かけました。同行したのはスペ〜ス百貨の水田さんとスタッフの方3名、CM制作会社(株)オニオンの梅原さん、平間さんと東京カラー工芸社の小野ヨシ子さん、途中のサービスエリアで写真家・瀧本幹也さんの元アシスタントの方3名と合流。総勢11名です。午後には宮城県七ヶ浜町の生涯学習センター、 塩竈市のガス体育館、アートスペースビルド、香津町保育所にそれぞれの要望に対応した物資を届けました。
4月3日(日)七ヶ浜町松が浜小学校にて大鍋に二種類のちゃんこなべと野菜炒め、数種類の浅漬け、甘酒とふかし芋などの炊き出しをしました。(株)オニオンの梅原さんが炊き出しのすべての準備と指揮を取り、地元の有志ボランティアの若者たちの協力の元、避難所の皆さんに温かいお昼ご飯を食べていただき、おやつと夕食用の汁物も用意できました。

皆さんにご提供いただいた女性用の物資は、七ヶ浜町役場の渡部とき子さんに直接お渡ししました。大変喜んでくださり、自ら仕分けをして必要な人に渡しますとの事です。大型倉庫には様々な物資が山積みにされていて、仕分けをしている自衛隊の方がたくさんいたのですが、被災地の状況から考えると、大勢の自衛隊員がここで仕分けをしていることに違和感があり、送る側の荷物の作り方にも後で仕分けをする必要がないように、細かい配慮が求められるのだなと思いました。担当者に直接渡す、被災者に直接配るということは現場を見るとなかなか難しい事だという印象を受けます。ほとんどは物資用の倉庫に山積みにされるので、よほど管理された倉庫でない限り、物が迷子になる可能性があると思いましたし、実際、紙の手提げに仕分けした荷物が8個あったはずが、5個は他の物資とまぎれて別の場所で収納されたようです。目を配っていても厳密にはできないですから、それを求めていた誰かに届いたはずだという理解をして、それはそれで良しとする事も必要なことだと思いました。ただでさえ荷物が届くまでの時間のズレがあるので、必要な物が必要な時に届かないということがたくさん起きているかもしれません。今後どういう物が必要とされるのかは、現地に聞きながら対応しないといけませんが、次の段階は仮設住宅が建ち、避難所が統合されて、それぞれの生活が始まる時、というお話しでした。一から生活用品を揃える事になるからです(塩竈でも七ヶ浜でも、またいわき市でも同じ声を聞きました)。一ヶ月経って交通の問題も次第に解消され、塩竈市やいわき市のサイトには今まで募集した物資の受付は終了したと書かれています。物資を送るだけではなく、様々な形の支援を考えて行く時なのだと思いました。(ヤマト運輸では、営業所が被災した気仙沼の支援物資倉庫の物品管理に、ボランティアでスタッフを派遣したそうです。公的機関からの委託という形で、物流のノウハウを生かして必要な物を必要としている人に無駄無く届けるということに取り組んでいるそうです。)

塩竈市(隣りの松島市も)は被害が多い方ではなかったと聞いていましたが、その理由は湾内の多くの島が防波堤になってくれたからだそうです。たくさんの島に津波がぶつかり、塩竈、松島には直接津波が当たらなかったというお話しがありました。その浦戸諸島の被害は大きく、避難所に避難している方は塩竈市全体の三分の二になります。塩竈は徐々に復興に向けて動いているとはいえ、ガスはまだ完全に通っていませんし、食料もまだまだ足りているとは言えず、極端な野菜不足で口内炎と便秘に悩まされているとの事です。
一方、宮城郡七ヶ浜町はコンビナートのある工業地帯が大きな被害を受けたところです。高台にある松が浜小学校から見た海は本当におだやかで大津波のイメージとは全くほど遠い景色です。しかし、海岸線に近づくとこれまでテレビで何度も見て来た、破壊された町の映像と同じ景色が広がっていました。
仙台港では、大型トレーラーがひっくり返り、東北の製紙会社のものと思えわれる荷物が散乱していました。それは大きな新聞巻き取り用紙や雑誌の印刷に使われるはずのロール状の白い用紙です。私の仕事では常に様々な紙が身近にあり、無くてはならないものです。これからしばらくの間、紙の流通の問題が起きるだろうということ、これからは紙の消費についても丁寧に慎重に考えて行かなければならないと思っています。
同行した皆さんの中にはこの風景を前に思わず涙した方もいらっしゃいました。私も、きっと壊された景色と被災された方の気持に同調してしまうだろうと覚悟していましたが、悲しさを超えてなぜだかとてもドライになり、怒りに近い感情と、これを放っておいてはいけないという気持がこみ上げて来ました。
ボランティア活動は簡単に出来ないものだと思います。物資を届けたり送るだけでも、現地との時間差は免れませんし、そのうち物が行き渡り求められなくなります。もう少し時間が経った時に何か少しでも支援と言える事が出来ているように、今から考えて行きたいと思います。
ご協力本当にありがとうございました。

2011.0409 長尾敦子