2015.03.14 Saturday

旅と列車と写真と言葉

3/13日にBook Photo PRESSのFBのカバー画像を更新しました。懐かしい感じの食堂車の写真です。折しも13日は特急寝台列車の「北斗星」定期便のラストランの日。ニュースでその映像を見たのは夜ですから、それに合わせた訳ではないのですが、驚いたことにFBの食堂車の画像は、「北斗星」の食堂車そのものでした。(スタッフの高橋桂子が数年前に撮った写真の一枚)
こんなことってあるんだな、とびっくりしましたが、偶然、食堂車の画像を選んだのは、旅に出たい気分がシンクロしたのかも知れません。どこにでもあっという間に着いた、と感じる事が多くなったこの頃、旅くらいは超高速よりゆっくりと行きたい気分です。

列車の写真でもうひとつ思い出すのが、7年前に構成とデザインを担当した言葉と写真の本、「そのぬくもりに用がある」(言葉 サンボマスター・山口隆 写真 平間至/角川書店)の中の1ページです。
このページの写真に写っている「オハ24 702」という列車は昭和47年に登場し、昭和60年の改造を経て平成17年11月まで運行されていた、
関西-九州間の寝台特急に連結された指定席列車だそうです(すっかり鉄子)。平成17年というと、今から8年前ですから、写真家の平間さんは「オハ24 702」が現役で走っている最後の時期に乗っていたのかもしれません。列車の車体が水面のように光ってきれい。古い列車を励ますように美しく撮っている感じがします。

この写真に合わせた言葉は、サンボマスターの「想い出は夜汽車に乗って」の一節です。本の制作中に、一度見るのをやめて離れてみたことがあるくらいに、平間さんと山口さんの表現は濃くて強くて、1枚1枚に、一文字一文字に、汗や涙や大事なことを見つめる視点や、もう、すべてのことがみっちり詰まってせめぎあっている。イメージと言葉を組み合わせるのは、八割型、計算ではなく感性に委ねることになるので、度が過ぎると消耗します。
でも、このせめぎあいに辛抱強く向きあっていくと、その先で感覚が解き放たれるような体験をしました。何というか、そのイメージと言葉が一体になって、すっと私から離れるような感じです。

帯に入れる言葉を打合わせしていたとき、山口さんが口にしたのは
「さよなら、さよなら、さよなら、悲しい出来事」。ありきたりの宣伝用コピーではありません。彼がやっていることの目指すものが、くっきりと見えた瞬間でした。この本は、もう絶版になっているけれど、7年前よりも今の時代に添う本だったと、つくづく思っています。

二枚目の画像は、今でも好きな、カバーを外した表紙です。イメージは言葉を連想させ、言葉はイメージを引き寄せる。
とはいえ、言葉自体がイメージになって、ここではもう何も入り込む余地が無さそうです。そして言葉を寄せ付けない写真もある。これらを丁寧に見て行くことは、限りが無い表現の世界を知る、ひとつのしあわせです。

2015年、平間写真館開館、おめでとうございます 平間写真館

2015年、結成15周年、おめでとうございます サンボマスターFB

2015.03.11 Wednesday

Cover更新しました

Cover 03 高橋宗正さんの写真

高橋宗正さんの写真集、「スカイフィッシュ」( 2010年 赤々舎)刊行と同時に、当時清澄白河にあった赤々舍で写真展が開かれていました。ちょっと気になり、ふらっと見に行った作品は、私にとっては新しい時代の写真に見えて、目が覚めるような思いでした。思いがけず出会った、この若い写真家はこれからどうなっていくんだろうか、ずっと見て行こう、と決めたのでした。
「スカイフィッシュ」について言えば、写真全体のトーンは洗練されているし、構図も色調も見せ場も、全部上手に作られていると思います。そうなると、私の場合はセンスが良くてうまい写真だなと思って終わることがほとんどです。でも高橋さんの写真は、その裏の方か底か奥の方に、黙ってしんと静かにどこか一点を見つめているような視点があって、ともすると、そのまま少しずつ沈んで行ってしまうような、不安定な気持ちが漂っているように思いました。
写真から受ける印象や衝撃みたいなものは、本当に人それぞれです。私がこんな風に感じたのは、同じような心情をどこかに持っているからかもしれないし、ただ、そういうことがありそうだと、自分勝手な発見をしたつもりになっているだけかもしれません。

写真集の「スカイフィッシュ」というタイトルの文字は、相当軽やかにデザインされていて、一見、何だか楽しくて軽めな写真集とボクなんですよね、と言っているみたいです。でも、本当は見る人にある種の気軽さを感じさせようとしているだけで、軽さとは無縁、表面的な見え方とは裏腹にある写真が持つ印象と意味。これが今の時代を感じさせたのかもしれない、今になってそう思います。

トップページに掲載した写真は、遠近法を駆使して、ちょっと見る人をびっくりさせようと目論んだ、面白いシリーズの中の一点です。この「太陽を掴む男」は、実際できるはずが無いことを写真に撮ろうとしていて、少し子供じみて見えます。写真ならではの遊びが混ざっている。大人がまじめにこんなことしちゃって、と思う反面、本気で太陽を掴んでいると思わせるような、面白いだけではすまない写真だと感じています。写真に救われるということがあるとしたら、意外に、この写真のようなおかしさと強さが混ざっている、エネルギーのある写真かもしれません。

今日から丁度4年前に、東北で大震災がありました。今、高橋さんを語るには、普通に考えると写真洗浄の活動を中心に記録した『津波、写真、それから』( 2014年 赤々舎)に焦点をあてるでしょう。でも私は、そのことに費やした時間を糧に、乗り物を乗り換えるように、見たこともないものを撮りに行って欲しいと思うのです。

2015.02.18 Wednesday

写真の日々_(3)

昨年の12月にグループ展に参加した時の事。知り合いの女性が会場をひと通り見終わってから、あるカラー作品の前に立って言った事は、「この作品だけ、何だか違う。何が違うんだろう…」。

フィルムで撮って印画紙に焼いた作品の中で、その数枚の作品だけ、デジタルカメラで撮影された物でした。

彼女は専門書を出版する会社の編集者なので、ごく一般の人とは物の見方が違っているかもしれません。それにしても、写真に興味を持って見始めたのは最近だと言う人が、そこで何を感じたのでしょうか。

フィルムや印画紙の値段がどんどん高くなって、このままいくと銀塩写真の人口は減るばかりです。それでも気になるアナログとデジタルの違い。(1)の記事で書いた銀塩とデジタルを混ぜた展示を見てくれた人は、ほとんどが自身でも写真をやっている人たちです。その反面、(2)の記事で書いた、銀塩プリントの雰囲気を気に入ってくれた人と、今回の「何だか違う」という感想は、いつも写真作品を意識的に見ている人たちのものではありません。写真を見慣れていない、専門家ではない人たちの方がその違いに敏感だとしたら、写真に関わる私たちは、何を考えて見せて行ったらいいのでしょう。

写真に係らず何でもというのは大げさだとしても、細かな違いや変化をそのままにしてしまうのは残念な気がします。これは平らなのか、ざらざらなのか、という違いを提示したり、そのものの善し悪しを比べたり、もっと繊細な所を見て行きたい。古い物を古いという視点だけで見るのではなく。区別がしにくものの違いが、実はとても大きく違う感覚を生んでいるとしたら、それは面白くも怖くもある事だと思います。

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上の写真は、小海線清里駅(山梨県北杜市高根町清里)の 写真。駅の開業は1933年、この写真が写されたのは、その5年くらい後だろうか。清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュが、キリスト教研修の中心施設として清泉寮を建てた頃ではないかと思う。昔の写真を見て、私たちがどうやって今まで過ごして来たのかを想像すると、ごく当たり前で、大切な生活が見えてくる。まじめで温かく、土地に根ざしているたくましさを感じました。

2015.02.17 Tuesday

写真の日々_(2)

私が写真を撮るのは、フィルムカメラとデジタルカメラとiPhone6。そして暗室に入ってプリントしたり、プロラボに頼んだり。でも、デジタルカメラとiPhoneの写真をプリントしたのは、数える程しかありません。デジタル写真は写真と言うより画像であり、モニタで見る物になってしまいました。

フィルムで撮った写真とデジタルで撮った写真の違いはどこにあるのか。デジタルカメラが今ほど使われていない頃から、そのことはしつこく頭にあって、事あるごとに納得するための糸口を探していました。
よく、フィルムの方が味があるとか言われますが、デジタルデータはフィルムの質感や調子を出すために十分なアプリケーションがあり、そのデータを印画紙に焼けば写真としての価値も高まります。そもそも「味」は元々備わっているもののはず。と言う事にもなりますが、作る事は可能だと思います。
それでも、何かが違うのは、材料としての違いなのか、撮る側の緊張感や精神状態の違いなのか。この疑問に捕われている私は、時代に取り残されているのかも。そこで、自分で密かに実験的な事もしました。

昨年、浅草のギャラリーPIPPOでのグループ展に出展したときのことです。35mmフィルムと645フィルム、ミラーレスデジタルカメラとiPhone4で撮った写真を混ぜてみたのです。デジタルデータもすべて印画紙に焼いて額装しました。偶然、カラー作品とモノクロ作品がデジタルにもフィルムにもあって、さらにフィルムの方はサイズも混ざりました。一点だけ、iPhone4で撮ったカットも印画紙で焼き、全部で9点です。正確には6種類の媒体とフォーマット違いになりました。
バライタ紙に焼かれたモノクロ作品以外のカラーについては、デジタルとフィルムの違いは判別しにくく、iPhoneのカラーに至っては、これがiPhoneの写真とはっきり答えた人はいませんでした。
プリントを直にじっくり見れば、粒子の違いで判別は可能だと思います。でも、額に入り、アクリルで覆われたプリントを見ても違いはよく分からない。フィルムを使う側からすれば、何で撮っているのかを気にしますが、一般的にはその視点で写真を見る事はほとんどありません。あれれ、、、思ったほど違いは無いみたい。

数年前に開かれた写真関係のトークイベントで、印象に残ることがありました。数人の写真家がまさにフィルムとデジタルの優劣の話をしていて、いまひとつ決定的な言葉を発する人がいない中、少し間を置いて、写真家の操上和美さんが「空気が写るんだよ、フィルムは。」と、ぽつっとおっしゃいました。
人物でも物でも風景でも、そのものだけでなく目には見えない空気が写る。それは、銀塩写真に惹かれる理由として、あまりに感覚的で芸術的で、その時は、本当にそういうことなんだと心底思ったのでした。

写真としての価値を勝手に決めるとしたら、バライタ紙に焼かれたモノクロ写真が一番先に浮かびます。良いプリントの階調の豊かさは見とれるほど。カラープリントはどうだろう。カラーはもうすでにデジタルの物となっている。そんなことをそろそろ結論づける時かなと思っています。なのに、こんなことがありました。
昨年、友人の結婚式で645カメラで撮ったカラー写真を、キャビネサイズの印画紙に焼いてプレゼントしたのですが、30代前半のご主人が、結婚式で撮られた写真の中で一番気に入っている、と言っているそうなのです。学生時代からデジタルで育った人が、フィルムで撮った写真はやっぱりいいね、雰囲気が伝わるね、という、その見方と感じ方を無視する事はできないと思いました。そういう中にこそ、写真の奥深さや面白さの秘密が隠れているのだろうと思うし、写真に限らず、道具や材料の違いは内容の善し悪しさえも左右する重要な物である。と思います。料理でゴマをする時、機械でするか、手でするか。というような。

来週の遠出にカメラは何を持って行こうか?いつまでも、写真を何で撮るか迷う日々。でも、魅力的な写真であれば、おいしい料理であれば、道具は何使った?とは聞かれませんね。その大事な時にiPhoneしか持っていなければそれでいい、それよりも何を撮るかを大事に、撮る事自体を楽しもうと思います。

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上の写真は、乃木坂のギャラリー間で開催中の、「TANGE BY TANGE 1949-1959/丹下健三が見た丹下健三」展(1/23〜3/28)で展示中のコンタクトシートの一部。
丹下健三は1949-1959の10年の間に国内外で撮影した膨大な数の写真を遺している。没後10年目の今年、初めてそのコンタクトシートが公開された。
写真家の石元泰博を伴って訪れた、桂離宮の細部を切り取った写真は、先人の仕事から何かを見いだそうとしているような、次の作品に向けた模索のようにも見えた。逆に石元作品が桂離宮を古い建造物として撮っていない、という印象を以前から持っている私が、この時代を代表する2人の作家の写真を対照的なものとして見てしまったのはなぜだろう。ここでまた写真の不思議にぶつかりました。

2015.02.16 Monday

写真の日々_(1)

昨年、11月と12月に二度グループ展に参加した時、すべて自分でプリントをしませんでした。時間が足りなくなり、セレクトの為のテストプリントをするのが精一杯だったからです。すべてカラーとモノクロ専門のプロラボにお願いしたので、展示には間にあったものの、結果的には初めて客観的に冷めた目で自分の写真を見る事になりました。
そうすると何が良いのかよくわからなくなり、セレクトも展示方法も周りからアドバイスをいただいて、何となくこれでいいのかなという決め方になりました。

1月の始めにオープン前の平間写真館にお邪魔して、写真家の平間至さんのワークショップ、フォトスタンダードをのぞいてきました。受講生は一年間写真を撮る事とモノクロバ ライタプリントを学び続けて、その成果を3月に3回のグループ展という形で発表します。その日参加していた6人程の受講生は、セレクトのためのプリントを 並べながら、講評を受けたのですが、みんなのプリントのうまさには本当に驚きました。昨年の春から、写真にまっすぐ向き合った結果が出始めていました。中には以前から私も作品を見ていた人がいたので、そのかわり様をたくましく感じて、アマチュアであっても若い世代の撮る写真をちゃんと見て行きたいと思ったくらいです。(上の写真がその講評の時の様子)

彼らはそれぞれのフィルムカメラで写真を撮り、自分でプリントをしている訳ですが、今の時代、こういうことをしている人は本当に少数の写真マニアだと言われています。でも、彼らの写真を見て、アマチュアであっても写真を何で撮るかということはその人の写真の分かれ道だと思いました。銀塩プリントをみて、印画紙の美しさをできるだけ自分の中に留めておこうとするかどうか。 誰であれ、それを忘れずに大事にしていたなら、この先何で撮ろうといい写真が撮れる気がします。

デジタルカメラは進歩あるのみ、でもフィルムと印画紙はそのうち無くなってしまいます。今のうちにできるだけ、フィルムカメラで写真を撮るということを楽しんでおく。もう、そう言うところまで状況は進んでしまった。値段もどんどん上がっていて、人に勧めようにも積極的になれません。銀塩写真の状況は風前の灯かもしれない。最近、初めて切実にそう思いました。

明日、私は写真を何で撮ろう。大好きだから、いつも悩むカメラの選択。その事を続きの記事で書こうと思います。

2015.01.12 Monday

中藤毅彦写真展『STREET RAMBLER』〜1/18 渋谷ギャラリー・ルデコ

写真家 中藤毅彦さんの写真集『STREET RAMBLER』の発売に合わせて、渋谷のギャラリー・ルデコで同名の個展が始まっています。
今まで何冊も写真集を作って来た中藤さんが自ら編集・セレクトして出来上がった、ストリートフォトグラフィーの集大成とも言える写真集『STREET RAMBLER』。東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、上海、モスクワといった都市とその人々のリアルな姿を撮った作品です。写真を印刷した何種類かのカードが、シュリンクされた表紙に挟まれて、海外から届いた本のような雰囲気があります。

中藤さんのモノクロのトーンは、被写体が強いコントラストとくっきりとしたアウトラインで表現されていますが、その強さの中には、繊細さを感じる場所があると以前から思っていました。このことは、もともと中藤さん本人の中にある温かさともうひとつ、相手に対する純粋さが作るものだと、今回の展示で実感しています。

特に私個人の思い入れと合せて、その街を捉えるにはこの写真だと思ったのが、デモ行進中に旗を身体に巻いてカメラを見ている男性のカットです。折しも、ルデコでの個展が始まる二日前、パリでの新聞社連続テロ事件があり、11日にはその 犠牲者を悼むための大行進がフランス各地で行われて、第2次世界大戦中の1944年のパリ解放よりも、98年のW杯のフランス優勝よりも多い参加者だったと報道されています。
そのニュースをテレビで見ながら、中藤さんのこの一枚を思い出していました。デモもストも行進も多いフランスならでは、という印象もあったと思いますが、パリを撮った多くの作品の中で、ああ、そうそう、フランス人が写っていると、しばらく出かけていないパリを思いました。特にヨーロッパは移民が多く、欧米だけでなく外国に住む事の難しさは想像がつきます。事件後、襲撃されたシャルリー・エブド誌の表紙に使われた「Tout est pardonné」という言葉の訳についても、解釈の違いから本来の言葉の意味を取り違えて報道されているという意見も見かけました。私たちが得た情報は、もしかすると誤解だらけかもしれません。フランスの人たちは殺人という最大の暴力が抗議の手段に使われたことに怒り、それが大行進につながったのですが、どんな表現であっても自由であるべきという主張に、質が問われないとしたら賛成はできません。しかし、今回の人種を超えた大行進という行動をトリミングしてみると、少なくともそこから見い出せたことは、暗い方を見ずに明るい方を見るというような姿勢でした。『STREET RAMBLER』の会場をぐるっと見渡してみると、中藤毅彦さんはどの人にも丁寧に向き合い、まさに街や人の明るい方を見ながら撮っている。写真の中に繊細さを感じる理由が、分かった気がします。遠い国で起きた事件が、展示会場では目の前に迫るものとなりました。写真は人が撮るもの。そして、その時を写すもの。つくづくそう思った展示でした。(長尾)

中藤毅彦 写真展『STREET RAMBLER』
会場:ギャラリー・ルデコ6
会期:2015年1月10日(土)~1月18日(日)
開場時間:11:00~19:00 *月曜定休

2015.01.01 Thursday

新年のごあいさつ

写真のこけしは、宮城県松島町のこけし屋さんのものです。2011年の震災の時に津波で流され、その後発見されて店主の元に帰って来たこけしだそうです。傷ひとつないこけしを手にした時、大きな困難をみじんも感じさせない穏やかな雰囲気に救われるような思いがしました。そばに寄り添うエジプトの猫の坐像と小さなイノシシは、日本ではない全く別の場所から来た物。言葉は通じない?でも、何だか気持ちは通じ合っていそうです。

美術や写真が好きで、昨年12月にBook Photo PRESSというアーティストブックを制作するレーベルを作りました。作家と、一緒に考えてくれるメンバーと、それを見て楽しんでくれる人がいて、初めて作ることができる物です。いまさらですが、様々な個性が集まって協力し合い、物作りをする楽しさをしみじみと感じています。みんなで美しい物を作って行きたいなぁ。と、想像が広がる新年です。

今年もどうぞよろしくお願いします。

2014.12.28 Sunday

Cover更新しました

Cover 02 松谷友美さんの写真

すっぽりと雪に包まれた、ここは秋田県の田沢湖だそうです。
寒い寒い中を歩いて、たどり着いた湖の風景。湖畔の山々から、おそらく秋田駒ヶ岳から遠く岩手山までつながって行きます。
写真集「六花(りっか)」の最後の方で見つけたこの写真は、ひと目見て、この場所の空気を吸ってみたいという気持ちになりました。ここは東京から遠い地方の雪景色ではなく、どこか温かくて身近に感じられるのは不思議な事です。こういう感覚を持つ写真に出会う事がしばしばありますが、写真家が同じように感じて撮影したからに違いないと思います。

おまけにこんな写真を。
羽田から青森へ向かう飛行機の中から見えた田沢湖。湖畔の山と秋田駒ヶ岳の向こうに岩手山が。10月の終わり、紅葉が盛りを過ぎる頃でした。

2014.12.20 Saturday

「F」_Film&Format グループ展のご案内

渋谷のギャラリー・ルデコで開催されるグループ展「F」に、Book Photo PRESSの制作をしている長尾敦子と高橋桂子が参加します。「F」は、浅草にある暗室&ギャラリーPIPPOでフィルムとフォーマットにこだわった作品を定期的に展示して来た人たちが中心になっている、アマチュアのグループです。アマチュアと言っても、プロとして展示に参加、作品を販売して活動している方もいて、それぞれのやり方で写真に取り組んで知る13人が展示をします。
今は特殊な物として扱われるようになったフィルムに、自分たちなりの光のあて方をした写真展です。この機会にフィルムで撮られた写真とそれぞれのフォーマットの違いをご覧いただいて、銀塩写真を楽しんでいただきたいと思っています。

私たち2人は、写真を見る事、写真を使ってデザインする事、画像データを作る事に関わる仕事をしていますが、自分で作品を制作して展示する事が、写真に対しての見方や考え方を広げてくれることを痛感しています。作品展示の渦中にいることで、作品を見る側の目にもなりつつ、良い展示を考える為の訓練をしているように思っています。

初日の23日(火・祝日)17時より、オープニングパーティーがありますので、お気軽にご参加ください。みなさまのご来場をお待ちしています。

「F」Film & Format Photo Exhibition

会場:ギャラリー・ルデコ
会期:2014年12月23日(火)~28日(日)
11時~19時 ※最終日は17時まで

 

2014.12.19 Friday

29 winter_本という表現のかたち

松谷さんの写真集2冊目をご紹介。この「29 winter」という写真集は、「六花(りっか)」の制作途中に、衝動的に作った写真集だそうです。ここには、いままで見て来た松谷さんの写真とは違う世界があって、作家の内面を見せられたような驚きがありました。「六花」で自分の写真の形が決まってしまうような気がしたという松谷さんは、おそらく「六花」を通り過ぎて日々変化して行く自分の心情を何かの形で表現したかったのでしょう。
時間とお金と労力をかけて制作する写真集の重みというものは、素晴らしい物である反面、写真を撮って来た時間や場所や、関わる事すべてがしっかりとした箱の中に納められてしまう寂しさもあると思います。納めた後、新しく何かが始まるような、そういう本が理想的なのだと思います。この「29 winter」は、松谷さんにとって、「六花」の後に始まった新しい世界観なのかもしれません。

こうして作家が積極的に表現を形にして伝えて行く、その表現活動の一旦に本という形があると思います。本と写真で新しく始めたBook Photo PRESSは、表現のためのひとつの媒体として存在したいと考えています。来年は、松谷さんのアーティストブックも制作する予定です。どうぞお楽しみに!

松谷友美写真集「29 winter」
2014年9月
A4変型/80ページ
写真集の購入は、松谷友美さんのウェブサイトで。